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誰かと、サケ

サケの回帰が少ないようだ。海へ行く間、海にいる間、還ってくる間、どこで何があったのかは分からないけれど。

思えば僕は小さいころからサケを見て育った。昔は実家近くを流れる鮫川でも放流をしていたので、季節になると、学校の帰りや休みの日、川で背鰭を出して川を遡っていくサケを見てドキドキしたものだった。

今では稚魚放流はしていないが、それでもサケは還って来ている。迷子もいるかもしれないが、自然産卵由来で回帰している子たちもいると信じたい。

放流していないこともあってか、いい年こいてサケ釣りをするのはもう自由だと勘違いしている馬鹿な大人がいるが(バサー風のヤツが多い)、やめて欲しい。違法だし。決して多くはない鮫川のサケ。そっとしておいてやって欲しい。釣りたいなら制限付きとは云え近くに開放している河川もあるし、食べたいなら買って食えばいいんじゃないかな。大して高くないし。後ろめたい思いをしてまで食べるもんじゃあないだろう(そういうことも想像しないから馬鹿なんだろうけど)。酷いのになると卵巣だけ抜いていくヤツいるし。あんまりやりすぎるといなくなっちゃうすよ。ゼロにはならないかもしれんけど。


一方で。
北海道に行った時、最終日の時間つぶしだった。千歳のサーモンパークに行ったんだけれど(アブラビレ狙う人なら結構楽しめると思う)、「アイヌの人たちとサケの関わり」といったようなパネルがあった。

アイヌの人たちは神の魚(カムイチェプ)と呼んでいたとか。魚の神ではないとこをみると、神からの授かりものってとこなんだろうか(他にも「本当の食べ物」とか、「本当の魚」とか)。そして事実、その生活はサケに大きく依存したものだったらしい。川の稲ってぐらいのもんだったんだろうなぁと想像される。

それだけ大切なものであるからして、サケと、サケの遡る川は大切にされていたようで。汚れた川にはカムイチェプは上ってこないから、川にゴミは捨てちゃいかんとか云われていたらしい。当時のゴミって自然に還るようなものばかりでしょう?それでも駄目だという。それだけ大切にしていた。

その他にも、(今ザラっとネットを覗いてみたが)下流でとりすぎちゃいかん、とか、とるならホッチャレからとか、色々と決まりがあったらしい。漁法自体にもキメがあって、儀式を踏まないといけなかったとか。

半可通ではあるが、狩猟民族のそれっていうのは、きっと「戒め」の形になった資源維持の教えであって(そして感謝と尊敬の意を表したもの)、世界中にそういうもんがあったんだろうなぁってのは容易に想像できますな。そんなことを思い、ちょっと感動して、千歳川の梅花藻とサケを眺めて帰ったんでした。


今の本州のサケってのは良くも悪くも稚魚放流によって支えられているものであって、同時にそういった形になってから、或いは食いもんが豊富になってから、人々の生活におけるサケって存在が「塩鮭とイクラ」だけになってしまったんではないかなぁ。

サケと食い物がドカンと増える代わりに、川を守る戒めが失われてしまったんではないか。

戒めが失われてしまった川では多分簡単に資源を枯渇させることが出来ちゃうワケで、そうするともう勝手にとらせないようにするしかなかったのかなぁ。人間って馬鹿猿だからね。際限ないから。

もしかして、もっと川を大事に大事にしてれば、食味も釣味も適当に楽しむぐらいは出来ていたんでないのかなぁ。文明が進歩した今の世で神がどうこうってのは無かっただろうけど。生活の場って意識がもっとちゃんとあればなぁ。


鮫川のサケがいなくならなければいいなぁ。

誰かと、サケ_c0193435_2141870.jpg

by rudefisher | 2010-11-10 21:41 | 釣り全般